女子ゴルフの米国ツアーメジャー第1戦、ANAインスピレーションでのレクシー・トンプソンがグリーン上でボールを置き直した位置が違うと合計4打罰(誤所からのプレーとスコア誤記のそれぞれ2打罰)を受けて、プレーオフとなり敗れた事は今も記憶に新しい。
このニュースを聞いた時の印象と映像を見た印象は異なった。
映像を見る前は、テレビに映ったシーンで判定が変わるのは如何なものか?
と思っていた。
ましてや数cmの差がパット事態に有利不利になるとも思えなかった。
しかし、映像を見た後、私には意識的にボールを違う所に置いたように見えたのだ。
正直、不自然な置き方と言われても仕方ないように感じた。
もちろん真相はわからない。
ただ、何かパットライン上に気になる事があって、意図的にずらしたように思えてならないのだ。
この事件に関しては、直後のマスターズ・トーナメントの時のガルシアの松葉の絨毯の上でボールが動いたように見えた事に繋がる。
このシーンは自分も生で映像を見ていた。
明らかに動いたように見えたのだ。
ただ、ペナルティにならないで欲しいと祈った。
マスターズの競技委員会は無罰と裁定し、ガルシアは試合に勝った。
この時、ガルシアが自己申告して1打罰を加えていたらどうなったのだろうか?
グリーンジャケットを着れなくても、後世に残る英雄になったのだろうか?
答えは誰もわからない。
ボビー・ジョーンズは空の上からどう思っていたのだろう?
グリーン上でのボールのマークの仕方
さて、今回は、そんな難しい話ではない。
身近な話題である。
いつもプレーをする仲間内で、グリーン上でマークする度にホールにどんどん近づく人がいる。
この方は大会社の社長さんだ。
ボールをマークする時にギリギリにマークを置き、ボールを置き直す時にマークから随分前に置くのだ。
1回に付き5cmは近づく。
2回すれば10cmだ。
これは、驚異的なテクニックだ。
5mあるパットが数cm近づいても一般的なアマチュアの場合、カップインの確率はたいして上がらないと思う。
ただ、1m以内になってくると気持ち的にも随分違う。
それでもそれは気持ちの問題だけのような気がする。
少しでもホールに近づけたい。。。
多分、癖になっていて無意識なのだろう。
別にオリンピックの賭けもやっていなければ、コンペでも無い。
他の人のスコアやプレーに関してどうでも良い話だ。
でもそのような姑息?な行いを見るとなんだか寂しい気持ちになる。
グリーン上のパットに何を思い感じるのか?
入ればどんな方法でも楽しいのか?
ゴルフは自分が審判である。
プレー中は多くの誘惑もある。
そんな時、神様は見ていると思って、自分を律するしかない。
自分に言い聞かせている。