夜明けの反対語は日暮れと思ってちょっと調べて見ると…
日暮れでもあっていますが、黄昏 も出てきました…
黄昏時か…
ウィキべディアによれば、
黄昏(たそがれ、たそかれ、コウコン)は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯である。黄昏時(たそがれどき)。黄昏る(たそがれる)という動詞形もある。西の空から夕焼けの名残りの「赤さ」が失われて藍色の空が広がると、「まがとき=禍時」という時間帯に入る。
なるほど、日没直後の赤い空の時間を黄昏っていうんですね…
そして、赤色が無くなって藍色になると 禍時、 これは知りませんでした。
そして、更に
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。この風習は広く日本で行われた。「おはようさんです、これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされる。
そこにいるのは誰ですか?
そして、よそ者をチェックする…
日本って本当に凄いですね。
自然と社会が本当に一体となって、様々な文化を作ってきたのがわかる言葉です…
万葉集や源氏物語にたそかれという言葉はすでに歌われています…
黄昏という言葉は斜陽と同じように盛りを過ぎたという少しネガティブなイメージがありますよね…
でも、陽が沈んでから本当の美しさが見られるんです…
人も一緒かもしれませんね…
この黄昏時は、逢魔時(おうまがとき)とちょっと怪しい別の言葉があります…
読んで字の如く、逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、大禍時は「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表すとする。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表している。
妖怪が出てくる時間なんですね…
更にWikipediaによれば、
古来から日本にある民間信仰の古神道は縄文神道ともいい、縄文時代にはすでに、死生観から命や神霊の存在が信じられてきた。その世界観において現世(うつしよ)と常世(幽世・隠世)という神域であり死後の世界が、存在すると信じられていた。
縄文時代から連綿と続く日本人の世界観。
先日、虫の声は日本人しか(日本語を母国語にしている人とポリネシアの人)、声と聞こえないという事を知りました…
(他の世界中の人は雑音としか思わない)
でも、今の日本は色々と忘れてしまいましたね…
土が無くなってしまった都会…
自然を昔のように取り戻す事はもう不可能…
出来ない事を望んでもストレスが貯まるだけ…
自然を求めて出かける…
これも今のご時世難しいし、本質的な所で違います…
黄昏時にほんの少しだけ、西の空を見てみたらどうでしょうか…
毎日毎日見ていると、信じれられない位、美しい瞬間を見ることが出来るかもしれません…
空は全ての人の頭上に広がっています…